お断りする話

先週土曜日のこと。朝、7時に起きる。スマホの天気予報のアプリを開き、降水確率0%という情報を信じて、春夏用のスーツに着替えるのであった。仕事の関係で平日に面談をすることが出来ず、休日に合わせていただいた。オファー面談ということで自分の転職活動に区切りみたいなものを感じたのでこちらに書いておく。

オファーをいただいた会社は医薬品や医療機器などのプラスチック成形をする会社だ。ここ数年の売上をみるとそれなりの利益がある会社なのだと思うのだが、どうしても好きにはなれず。なんというか、正直なところ誰でもよかったのではないかと感じたのであったからだ。というのも、オファー面談をいただいたとき、求人票に書いてあった職とは違う場所での採用ということで詳しい話は面談でということ。質問できる範囲ことをテキストに落とした。年収はどのくらいか?年間休日はどのくらいか?もし転勤になる際の引越しの代金は会社持ちになるということが求人票に書いてあったのもあり、一次面接にて面接官が言っていたこととのズレを確認しながら、質問を考えた。だいたい想像がついたのと同時に、一次面接での違和感と、本音と建前なのだろうということを考えての結果だった。みる限り年収に至っては問題がなく、今のところが低すぎるのもあるが、低くても詰められることもなく、ただ将来このままの状態がずっと続くようだったら間違いなく成長は見込めないだろう。しかし、自分が本気でやりきって通過した。精一杯の努力をしていないのにも関わらず、スッと選考が通過してしまったこともある。

「実際に求人を出してどれくらいの人が応募に来たのでしょうか?」この質問はキャリアアドバイザーにも、面接官にも、したわけなのだが具体的な数字を言ってくれなかった。多分だけど誰もいなかったのでは?とふと疑問に思ったのある。先週受けて落ちた会社の応募者数は7人と言っていたけど、その具体的な数値をしっかりと答えてくれなかったキャリアアドバイザーも今月の採用者数というノルマのために言わなかったのか?考えれば考えるほど、信用できないなと思ってしまった。

生産管理職という話ではあったが、蓋を開けてみると、「現場に2〜3年入ってもらってからという話で、まずは現場からお願いしたいです」という話で、数ヶ月ならまだわかるが、面接官の話と求人票とのズレがどんどん広がっていき、面接に同席するといっていた社長も結局来なかったのであった。

営業の方、現場責任者、人事の方がいなかったという点、スマホの電源をオフにしようと思っていたのだが、機内モードにして1時間半弱の録音をしていた。改めて聞くと、やっぱり違和感が拭いきれなくて、それを文章にしてみたのだけど。しっくりこないのであった。

「そうですね。人生の分岐点なのでしっかり考えてから回答するカタチでよろしいでしょうか?」

応接室から出る5分前、焦らないように。年相応の対応をして最後の質問をしてから、会社の門を出る。

「あ〜やっぱ、違うわ〜」心の声が言葉になって出ていた。

妥協はしない。やっぱ、本気で考えて会社を選びたいと思った。

ここから話がガラッと変わるが、26歳〜27歳まで無職だったときがある。人として最悪だったことを思い出す。上司との相性が悪かったのだろう。入社して半年で体調を崩して、心療内科に通ったのであった。そんな経緯があり、診断書を会社に持っていった。そこから、体調不良という理由で会社都合でなく自己都合として退職するというエピソードが蘇ったのであった。俗にいうとフラッシュバックみたいなものだろう。

そのため、愛社精神というのが皆無で、責任感があるようにみえて実はそんなことはなく目の前の人(仲のいい人)だったら力になりたいという思いが出てくるのだが、あんまり人の言うこと聞いてるようで聞いてない節がある。

会社って結局なところルールがあって、そのルールに合えばいいのだが、年齢を積み重ねるたび、ワガママで馬鹿正直に言ってしまうところがある。

自分で気がつければいいのだが、気がつかないうちに他人を傷つけないようにしなければ……。

そんなことを思いながら今日も求人情報サイトを開きながら、「あ〜でもない。こうでもない……」と、パソコンをカタカタしている。

 
 
 
 
 

「哲学?」どちらかというと、「あきらめ」に近い話

「稲盛のジジイ寿命あと何年かな?」
目の前に映るスクリーンを観ながら、京セラフィロソフィーの研修を受けていた。
「なるほど、今年90歳になるのか……」人生100年時代と言われる昨今、まあもってあと10年くらいかなと。
人生の大先輩の言葉に共感しながら、首をふんふん縦に振っていた。所属している会社が京セラフィロソフィーを導入して記憶に新しい。
部署のメンバー全員とフィロソフィーを共有しながら、書いてある言葉を自分なりに理解をして、発表をするのである。アメーバ経営を導入して、部門別採算制度という新しい概念を生み出して、日本航空を建て直すことに。
功績は大変素晴らしく、様々な企業に導入されることになった。自分の会社もその一つである。
哲学は素晴らしいものであり、自分もその担い手として人生を輝かせたいと思うのだが、地元の小さな町工場が背伸びをしたような会社が、ソフトウェアを高性能にしたところで、それに伴うハードウェアがついて行っていないように感じるのである。
午後1時から5時まで4時間という時間を生産に回すことが出来れば、最終的な売上や利益に繋がるのように感じるのだが、目的が見失っているように思う。利益を追求することが会社の発展になる。考え方が浸透する以前に、日本人なのだが、コミュニケーションエラーを頻発しているのにも関わらず、高尚な言葉を理解しようにも理解できないではないか。ただでさえ、テキストを読む行為が減っているのにも関わらずに、平成と変わらない同じような研修をしたところで、時間とともに風化するのではないだろうか。自社も京セラフィロソフィーを元にオリジナルのフィロソフィーを数年前から導入しているが、そのままコピーアンドペーストしてるほどであった。著作権という概念をご存知ではないのだろうか。思考力を養うどころか、思考力を奪われていることに気がついていないだけなどだろう。情報を選ぶことすら忘れてしまったようだ。末恐ろしいことが目の前で起きている。

「危険な思想なのではないだろうか?」同じ目標を掲げて会社を大きくするという点では非常に良いが、現場にいる末端の人間に届くのはいつになるだろう。具体的な年数、売上、利益。そこを具体化しなければ、存続できないのではと感じる。昨今の製造業はどこも似たり寄ったりであり、技術的革新も大きな会社と資本があってこそである。資源がなければ、新しいことにも挑戦することができずに同業他社に移ってしまうのである。実際に自分の会社でも、仕事ができる人、意思疎通ができる人がここ数年で転職を決めるのであった。

ワクワクした未来が考えられないのであれば、場所を変えるのもひとつである。

仲の良かった転職時期が被った同い年が居たのだが、2月の終わり頃に転職を決めてしまったのだった。社内SEであり、今は開発メインのSEになったようだ。年収も上がったらしい。自分も体力的な問題、収入の面を考えるとずっと出来るものではないと思い、昨年10月から転職活動をしている。

転職サイトの応募数を見ると200社を超えていた。自分も人生の岐路はいつ訪れるのだろう。書類選考で落とされ、ウェブ面接で落とされ、対面での面接でも落とされ、「自分には社会的価値があるのだろうか……」と、責めてしまいそうになった。愚痴を言ったところで自分の問題であるため、それを他責にしてしまえば楽なのだが、200社を超えたところで、問題は自分にあるという事実しかなかった。自分のファンクラブサイトを立ち上げて、ファンのメンバーからお金をいただくサブスクを考えようとしていた。価値がない自分でもどうにかしてネットの海から物好きを集めるという。バカな考えが頭に浮かぶ。そんなことしたところで何も変わらないのに。

3週間前の「熱量」が弾丸旅行になった話

「勢い、ノリの良さ……!」関西人に生まれた自分は、幼い頃から叩き込まれた思想、感情である。そして、面白くないと生きてはいけない……!という感情にとらわれて、面白くない自分を責めて枕を濡らすこともあった。

そんな、フットワークの軽さ、ノリの良さは関西という環境がつくってくれたのだと思う。

そして、何気ない会話から実際に弾丸旅行になった話をこちらに記録しようと思う。

5月末の月曜日だった。zoomで近況報告をしながら、お酒を飲んでいた。
友人はマイカーを持っており、日が昇る前にクルマを走らせて、日を拝みにいったときの話をしていた。

「うわ〜、それオモロイやつや〜ん」

想像しただけで、心踊るような感覚になった。
「来月のどこかで休みを合わせてどこかで朝日を拝みにいく?」

お酒がいい感じにまわっていて、「よし!時間合わせて行っちゃう?」そんな感じのやりとりだった。お互いの熱量のボルテージは最高潮であった。

3週間前の自分もしっかり記録していた。もう、やるしかないのという気持ちが前のめりに出ている。ワクワクしたときの気持ちは、実際に行動にうつすと一生心に残るものになる。そのことは2年前にも経験したことだった。

日の出を拝むこと

お互いの共通認識があると不思議と面白いことが浮かんでくる。
「山にする?海にする?」日の出スポットの候補は様々だ。東京と大阪、お互いの中間地点となると静岡県。場所は御前崎となった。

おすすめの初日の出のスポットにも取り上げられていた。6月ということもあり天気の不安があったが、「まずは行ってみる!」もしかすると、その日だけ晴れるかもしれないと思ったからだ。(但し、根拠はない)

6月11日、定時で仕事をあがって自宅に戻り浜松へ行く準備をする。前日にある程度、準備をしていたためすぐに自宅を出れた。一眼レフカメラもPCも忘れずにリュックに突っ込む。『弾丸旅行』をこの年でできるとは、夢にまで思わなかった。

新幹線で大阪から浜松まで2時間。
毎月のように東京に行っていた日々がとても懐かしい。そんなことを振り返りながら、「次は浜松…」というアナウンスが流れる。

そして約1年ぶりに友人と浜松で合流をする。

「夕飯にどう…?♪」と、その日のお昼に送られてきた浜松餃子のお店にリンクから夕飯のお店を選ぶ。

「腹が減っては戦はできぬ……」すぐにお店に向かった。

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噂の浜松餃子を食べた。セットでモヤシ炒めもついてくる。以前、ケンミンショーか何かで観た記憶があった。しかし、それだけではなかった。ダークホースがいた!
三方ヶ原じゃがいものじゃがバターである。

熱々でホクホクしていて、ほのかに甘さを感じるのである。そして、疲れたカラダに染みるのだった。

友人はリモートワークで東京から静岡までクルマを走らせ仕事をしながら、浜松に向かうという冒険を繰り広げていた。

前日も静岡の三保松原の日の出をスポットに行っており、動画を見せてもらったのだが、壮大な日の出だった。御前崎でもこのような日の出をみることができるのだろうか。いや、見たい。そのためにここまで足を運んだのだ。

当日の天気をみると曇り時々雨という。ただ、日の出の時間から2時間だけ晴れのところがあった。希望は確かにあった。仮に日が拝めなくても、御前崎に向かう道中は間違いなく楽しいと直感的に感じた。

浜松から御前崎まで約1時間40分、音楽のサブスクが車内を盛り上げてくれる。嬉しいことに、大好きなAimerの曲を流してくれた。ありがたい

途中から、この曲の制作経緯はこんな感じで…
えーと、このイントロはこの曲!

お互い童心に帰っていた。途中で飲み物を買ったり、気ままに目的地まで向かう。雨や風も強くなったりして、車体が揺れることもあったがそれも今となってはいい思い出だ。

夜中の3時、御前崎に着いた。1時間ほど早く着いたので近くのセブンイレブンに向かう。お互いオールナイトしているのでテンションがおかしかったように思える。

それもそのはず、

車内でお互いの2020年上半期のしいたけ占いを音読しあうのである。

友人は獅子座、自分は魚座。一部抜粋をしてお送りします。

しいたけ占い獅子座

この人たちと燃え上がっていきたい。

この上半期の獅子座は「この人たちと燃え上がっていきたい」と思えるような、そういう団結を共にする人間関係にかなり恵まれていきます。だから、これだけを覚えておいてください。
あなたにとってこの上半期は青春の風が吹き荒れます。だからこそ、青春を過ごす上で「ちょっとだけバカになること」が条件になるのです。
いつも、あなたの中には「これをやって何になるのか」という冷静な、冷めた目線を持つ自分がもうひとりいるのです。でも今はその冷静さは、そこまで強く発揮しなくていい。
「毒を食らわば皿まで」の精神と同じように「バカを演じるなら、最後までバカをやり通す」気持ちを持ってほしいのです。
いきなり大バカになる必要なんてなくて、「ここはちょっと、いつもの自分を壊してみるぞ」という勇気を場面場面で持っていくこと。バカとは「恥をかかない選択を排除していく行動」なのです。なぜ、少しはバカであることが大事なのか。人が人に惹かれ、「この人の人生にもっと関わりたい」と願う。その「願い」はその人のどの部分に感応していくのかというと、それは、その人が持つ「熱」の部分なのです。「うわー、この人本当バカだ。でも、本気だ」という熱を持っている人を、人は放っておくことができないのです。バカは、自分が思っている以上に周りから魅力ある存在になっていくのです。

引用元  **https://voguegirl.jp/horoscope/shiitake2020-h1/contents/05leo/

 

しいたけ占い 魚座

バカの熱量を持っている親友との出会い。

すごく大げさに聞こえてしまうかもしれないのですが、やはり魚座にとって2019年という年はこれから迎えていく未来の何年かにとって必要な「反抗期」だったのです。2020年上半期は「外の世界に出ていきたい」が大きなテーマになります。何のために外の世界に出ていくのか。それは、自分と同じ芯を持っている人と出会い、刺激を受け、それによって「自分を知っていく」ためです。
ここをちょっと説明させてください。
これは僕の私見になってしまうのですが、大人になってから出会う親友と、子ども時代に出会う親友は、お互いに求め合うものが変わってきます。子ども時代の親友は「ずっと一緒にいて」「くだらないことでもずっと話せて」「相談にも乗ってくれる」という相手。普通の友達と親友との違いというのは、相手の喜びを自分のことのようにうれしく、相手の悲しみを自分のことのように悲しく思うことです。
それでは、大人時代に会う親友は何が変わってくるのでしょうか。
自分と同じぐらいの熱量とセンスを持っている。なぜか話が合う。夜中の2時までも話せてしまう。その人と会うと何かいろいろなことが整理されてスッキリする。好きに話せる。
こういうところは子ども時代の親友と同じです。
でも、大人になってから出会う親友は「こいつがバカだから、私ももっとバカになろう」と真剣に「バカを願い合う人同士」なんじゃないでしょうか。
「普通に」「おとなしく」「差し支えなく」やることもできる。
でも、その人の生活のどこかで「限度を超えてやっていることがある」。そういう、「バカの熱量」を持っている人同士で、この2020年上半期の魚座はかなり惹かれ合っていきます。だから、すごく怒られるかもしれないのですが、2020年上半期のあなたは、素敵な出会いのために、素敵な人との濃い時間のために、どこかで「限界を超えたバカ」になっていってほしいのです。もちろんそれは「Twitterなどに大炎上することを書き込む」とかそういうことじゃないです。そうじゃなくて、「バカ」と周りに言われるぐらいまで、こだわる場所を持つことなのです。そう、「バカ」とは「プロ意識」のことなのです。バカみたいに手が抜けない。でも、それをやらないで今日1日を終えるわけにはいかない。この上半期のあなたはますます「他人がこういうやり方をしている」という平均的な回答についてはどうでもよくなります。でも、自分の「バカな親友」の動向だけは気になる。「あいつ、まだここまでやってるんだ。バカだなぁ。負けてられん」。濃い刺激や価値観をお互いに与え合う。この親友との関係は、あなたの一生も左右するぐらいの強烈な体験になっていくはずです。

引用元 https://voguegirl.jp/horoscope/shiitake2020-h1/contents/12pisces/

という感じで音読をすることになる。そして、不思議とあながち間違っていないよな…と確認し合うのであった。しいたけ占いの魔力に気がつきはじめる。

雨も収まり、空が明るくなっていく。

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朝4時の御前崎である。生憎の曇り空でした。

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海岸線のため大変風が強かった。あまりにも強風だったため髪の毛は乱れる。自分の髪がしっかり根を張ってくれたおかげで、髪の毛は無事であった。

日の出は拝めなかったが、せっかくここまで来たので荒々しい御前崎の海を動画で撮るのであった。(近いうちにまたどこかで日の出を拝みたい……)

再び、雨も強くなり浜松方面にクルマを走らして、朝銭湯に向かう。

深夜営業もさることながら、早朝営業もしている温泉施設だ。疲れたカラダに炭酸温泉は染みる。ふと身体が軽くなったように感じた。

このとき朝の8時である。

「お目当てのお店まで時間があるよな…」雨が激しかったときのプランBとして、あげていた観光スポットにいくことにした。

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浜松北部にある鍾乳洞、地元の珍スポットらしい。
一眼レフカメラを携え、洞窟内に潜入。気分はトレジャーハンターである。

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大自然がつくった美術館が広がっていた。洞窟内はひんやりとしており、鍾乳石から水滴が落ちてくる。避けれるわけもなく、全弾命中。幸いカメラのレンズに水滴が落ちなかったのが奇跡である。
目に映るものを全て写真で収めたいくらいシャッターを切った。その中で、これは良いと思ったものだけ、noteに載せてみる。

1時間半ほどで回り終えて、時間も良い感じになっていた。

旅の最後を彩るのは、

……ウナギである。

先ほどお目当てのお店があると言ったのはこのお店だ。

 

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11日の夜から12日のお昼にかけてずっと活動していたため、ウナギの味が身に染みた。格別だった。様々なものを乗り越えた先にあったウナギの美味しさは、

今でも忘れない。

 

お互いの休みを合わせて、弾丸旅行をする。zoomでのノリから生まれた熱量は、密度の濃いものとなった。

今回、日の出を拝むことは出来なかったけど、海でも山でもまた一緒に日の出をみる弾丸旅行をしたいな…と思った。

企画をしてノリに付き合ってくれた友人に感謝しかない。ありがとう…

閉鎖空間というものが人を壊してしまった話。

あれは、去年の2月に遡る。

本当にあった狂ってしまった悲しいお話。

彼の名前はYくん、新卒で今勤めている会社に入り5年目に入るところだった。
学歴は関西で有名な関関同立の大学院までいくほどの秀才であった。

ただ、初めて挨拶をしたときから、なんだか暗い印象だった。その前の年に心療内科うつ病の診断をもらっており、本人の働きたいという希望の元、通院しながらも仕事を頑張っていたのである。

同い年であった僕は、彼に休日はどんな感じに過ごしてるの?っと気さくに声をかけてみた。

「ずっと布団にかぶりながらアニメを見ています」と

どうやら、会社以外の人とは定期的に人と交流を図るような人ではなかったようだ。また、Yくんは自分の部署のメンバーとはあまり仲良くがなく、わざわざ僕たちの部署まで足を運んでご飯を食べてに来ていたのだから…

夜も眠れない日が続くことがあり、目の下のクマもひどく、話していてもマイナスな話やネガティブな話題しかなかった。

『この状態で働かす会社もどうなんだ。』と

2月某日、Yくんに挨拶をする。そのときの表情を見ると特に暗い。目の下のクマが特にひどくあまりに平常ではないと感じた。
ただ、昼ごろまでにはどうにかなるだろうと踏んでいた。

しかし、その思惑は一瞬にして崩れる。

朝のラジオ体操が終わり、自分の部署に戻ろうとしていた。

そのときに、なぜか自分の部署にYくんがいていたので、なんでだろうと声を掛けてみると、

彼の手には、刃の出たカッターがあり振り回していたのだ。

 

同僚と一緒に彼の身体を抑えて、カッターを取り上げる。

「何してるんや、離せ!!」

いい精神状態ではないのが、見てわかる。

その後、正気を取り戻したのか。

「ごめんなさい、ごめんなさい、リーダーに言わないでください。」

泣きじゃくりながら、僕らのことを謝っていた。朝から衝撃的な出来事だったため、すぐに上司に報告。

総務部に彼は軟禁されたのであった。

その後、社長、部長、課長、リーダー、現場にいた僕たちの事情聴取が始まる。

なんとも言えない状況で、うまく言語化できなかったのを覚えている。

その後、彼は6ヶ月の休職が言い渡され、のちに自主退社というカタチになり会社を去ることになる。

このことについて思うことは、工場という閉鎖空間が産んだバケモノではないかと踏んでいる。
根本的には同じような作業、生産量を上げろと同じようなことしか言わない上層部。
そんな奴隷的な働き方によって、正気ではいられなくなったと思う。

または、違う価値観に触れることをしなかった。彼にも問題があったのではないかと客観的にみる。

仕事とお金は切っても切れない関係だし、自分のことを蔑ろにした結果。このような、表沙汰にはできないことが起きてしまったのかと。

会社は今必死に東証一部上場に向けて、歩み出そうとして、クリーンなイメージでいる。そんな犠牲を産んだことを考えず、職場環境を上層部がもっと各個人に向き合うことをすれば、こんな悲劇は起こらなかったではないか。

より一層、コミュニティや一人一人の居場所が確立できる環境。

今の社会において重要とされる。安心と安全と思うそんな環境を、、

願っている。